「ON THE TRIP」

―“バンライフ”という新しい暮らし方、働き方の実験
成瀬 勇輝さん

成瀬さんが仲間と共にDIYで改装したバン。シックな装いだが、遠くからでも目に留まる。
出典:SHIFT+LOCALより

「バンライフ(vanlife)」は、“カスタマイズしたバンで移動しながら、暮らし、働く”という新しい暮らし方です。アメリカのミレニアム世代を中心に広まっていて、インスタグラムで「#vanlife」と検索すると、約540万件の投稿がヒットするほどの一大コミュニティになっています。そんなバンライフをいち早く取り入れたのが、成瀬勇輝さん(ON THE TRIP代表)。バンで日本各地を転々としながら、文化財や観光スポットのトラベルオーディオガイドの制作に励む毎日を送っています。どのように暮らし、働いているのか。成瀬さんにお話を伺いました。

マイクロバスを改装した自作バンで移動し、暮らし、働く

成瀬さんが仲間と共にバンライフを始めたのは、2年前のこと。きっかけは、「ON THE TRIP」という新しいサービスを立ち上げたことでした。ON THE TRIPは、美術館の音声ガイドのように、神社仏閣など日本全国のあらゆる観光スポットで、その場で楽しめるオーディオガイド。アプリを開くと、スマートフォンが自分専用のトラベルオーディオガイドに早変わりするというユニークなサービスです。

スマートフォンにダウンロードして利用するON THE TRIP。コンテンツも観光ガイドに留まらず、カルチャーの紹介などユニークだ。
出典:「ON THE TRIP」App Storeより

「コンテンツのつくり手である僕たちが、各地で暮らすように生活し、実際に体験しながら取材をすることによって、他にはない魅力を発見できるだろうし、より面白くオリジナル性の高いコンテンツがつくれるかもしれない」と考えた成瀬さん。“移動しながら取材生活を続けること”と、ちょうどその頃、アメリカで話題になっていたバンライフが結びついたのです。調べてみると、日本でバンライフを実践している人はまだ見当たりません。「それならなおのこと、自分たちが誰よりも先に、新しい暮らし方、働き方を実験してみよう」とスタートを切りました。

マイクロバスを改装した自作バンで最初に向かったのは、奈良県の大安寺。お寺の駐車場にバンを停めさせてもらい、そこを拠点に3ヶ月ほど暮らしながら取材を続けました。「初めて訪れるまちにバンを停める時、どんなまちなんだろう?と想像がふくらんで、すごくワクワクする」と成瀬さんは話します。この2年間、那覇の首里城近くのホテルや海岸沿い、山梨の富士吉田、三重の伊勢神宮、神戸メリケンパークオリエンタルホテル、高知県の川辺など、全国津々浦々で暮らしながら、取材生活を続けてきました。

生活をアウトソーシングするほど、まちや人と溶け合っていく

成瀬さんたちにとって、バンは移動するためのモビリティであり、寝食をともにする住まいであり、ミーティングなどを行うオフィスでもあります。ライフラインとなる電気は、太陽光パネルを使って自給自足。冷蔵庫は持たず、その日に必要な食材を調達して、自分たちでつくったキッチンで自炊し、洗濯物はコインランドリーで行う。荷物といえば、パソコンやカメラなどの仕事道具と棚の中に収納した少しの衣類くらい。すべてにおいて、最初からかたちが決まっていたわけではありません。バンという小さな空間で暮らしながら、働く。この新しい生活を実験していく中で、本当に必要なものだけを追求していくと、無駄を削ぎ落としたミニマルライフにたどり着いたのです。

「Think Small」というキャッチコピーで、1959年にドイツのフォルクスワーゲンが販売したコンパクトカー・“ビートル”の広告キャンペーンを見たことがあるでしょうか。大きな白いポスターの左上に、極小のビートルがポツンと印刷されたモノクロの広告です。当時、黄金期を迎えていたのは、大きな車体が特徴のアメリカ車。その真逆をいく新しい価値観を提示したビートルは、センセーションを巻き起こし、「スモール・イズ・ビューティフル」の象徴的存在として絶大な人気を誇りました。「その頃と同じように、今は小さなものの価値が見直される時代にある。小さいことが大事だと思っている」と成瀬さんは話します。

「暮らしを小さくすることは、縮こまって生活することとは真逆で、むしろ空間が小さいからこそ、外部に頼ることもおのずと増えていく」と言います。リビングやトイレなど、従来、家の中にあった空間など、生活をアウトソーシングするほどに、自分たちとまち、自分たちと地元の人たちとの境界線がなくなって、そのまち全体がひとつの家になったような感覚に陥ることがよくあるのだそうです。

ミーティングは、もっぱらサウナで

バンの中には、生活に必要最低限なキッチンや座席を利用した簡易ベッドが。
出典:UNLEASHより

成瀬さんたちのバンには、2台の扇風機のほかに冷暖房機はありません。その分、自然を人一倍近くに感じることができますが、季節によっては居場所を変える必要も生じます。例えば、真夏の日中は暑すぎてバンの中にはいられないから、カフェで涼みながら仕事をする。真冬の本州は夜をしのげないほど寒いので、沖縄へ移動するというように、バンライフは、自然の摂理に従った暮らし方でもあります。悩みといえば、太陽光の強い夏場に、ソーラーパネルで発電した電気が余ってしまうこと。「もったいないので、それらを簡単に売電できる仕組みがあるといいなと思う」と話します。

常時、成瀬さんを含む2~4名のスタッフが、このバンを拠点に取材生活を続けていますが、お互いに心地よく暮らし、仕事を円滑に進めていくためには、“干渉し合わないこと”が一番だといいます。そんな中でも、一緒の時間を過ごすことが多いのがサウナ。汗を流して癒やされながら、なんとミーティングを行っているのです。ちなみに、温泉とサウナに目がないという成瀬さんは、ミーティング以外でも、毎日欠かさず利用しているのだそうです。自宅のお風呂に浸かることを考えると確かに少し高くはつきますが、そこで過ごすくつろぎの時間は、成瀬さんにとって自分へのささやかなご褒美でもあるのです。

バンが出会いの場に。“偶発性”が生まれるコミュニティへ

バンライフを始めてから、成瀬さんは一般的なオフィスが持つ役割についてずっと考えていました。改めて気づいたのは、「移動しない、常設型オフィスの最大の利点は、偶発的な出会いやアイデアが生まれる場としておのずと機能している」こと。一方、移動型オフィスであるバンは、インターネットにつながったパソコン一台あれば仕事ができる利便性がある反面、そうした場としての機能は備わっていませんでした。

「僕たちのバンも、偶発性が生まれる場として活用することはできないだろうか?」と思いを巡らせていたところ、最近では、成瀬さんたちの活動が各地で注目を集めて、バンがコミュニティ化しつつあるといいます。

例えば、高知県に到着したある日のこと、「川辺にバンが停まっているらしい」と噂を聞きつけたテレビ局の人から早速問い合わせが来て、特集番組が組まれました。そして、その放送を見て興味を持った地元の人たちがバンに集まってくる…という、まさにバンを介した人との出会いが生まれ始めているのです。トラベルガイドの制作を生業とする成瀬さんたちにとって、地元の人との出会いはその源泉となる大切なものです。こちらから会いに行く前に、会いに来てもらえるほど嬉しいことはありません。

「そこに集まったみんなでごはんを食べるみたいなことが起きてくると、地域とのつながりも深まり、さらに面白いコンテンツをつくることができるようになる」と成瀬さんは話します。

季節に合わせて東から南へと移動。真冬は本州を抜け出して沖縄へ。
出典:THE BRIDGEより

鴨長明の「方丈記」を現代にアップデートしていきたい

もうひとつ、バンライフを始めてから成瀬さんが気づいたのは、鴨長明の随筆「方丈記」で描かれた約800年前の日本と現代がシンクロしていることでした。長明が生きたのは、大火や竜巻、大地震、飢饉など、自然災害が相次いで起きた時代です。目の前でひとたまりもなく家が倒壊するなど、数々の厄災をリアルに体験した長明は、定住に危機感を覚えました。そして、50歳の時に家を出て、4畳半の方丈庵(折りたたみ式の小屋)を牛車で運びながら、山の中で転々と暮らしていました。その頃に書かれたのが、日本三大随筆のひとつとなった方丈記です。長明は、「移動しながら暮らし、働く」というモビリティライフを日本で初めて実践した元祖であり、彼がつくった方丈庵はモバイルハウスの原点です。

異常な自然災害が次々と起きている現代も、長明の頃と同じように、人々は常に不安と背中合わせで生きています。長明が定住をリスクと見たように、「同じ場所に居続けると、そこだけに依存しなくてはならなくなる」と成瀬さんは危惧しています。居を構えることのメリットは、もちろんさまざまにあります。しかし、起こりうる災害のことも含めて、先行き不透明なこの時代に住まいを固定することは、多くのリスクをはらんでいるともいえます。

「バンライフは、今の時代に合った暮らし方、働き方の選択肢のひとつといえるかもしれない。鴨長明の方丈記を現代にアップデートしていくという気持ちで、これからも実験的にバンライフを続けていきたい。そして、ON THE TRIPでは、情報(ファクト)よりも、エモーショナルな物語(ストーリー)を紹介することで、“旅の途中”を豊かにするコンテンツを発信していきたい」と話してくれました。

ジャック・ケルアックの「路上」をはじめ、1950年代から1960年代にかけて、アメリカで活躍したビートニクの文学作品に親しんできた成瀬さん。当時、多くの若者が、ケルアックたちの言葉に刺激されて旅に出たように、「移動しながら暮らすことには、どこかでずっと憧れていた」のだそうです。そんな想いをバンライフで実現した今、まちに溶け込むように暮らすことによって、取材はよりいっそう充実したものとなり、ON THE TRIPの独創的なコンテンツが次々と生み出されています。

暮らしを小さくすることで享受できる豊かな体験。そこから生まれる比類なき仕事。小さなものにこそ、大きな価値があるのかもしれません。みなさんはどのように思いますか。ご意見お寄せください。

成瀬 勇輝(なるせゆうき)
株式会社ON THE TRIP CEO
東京都出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。2010年から、ビジネス専攻に特化した米ボストンにあるバブソン大学で起業学を学ぶ。その後、1年をかけて世界中の起業家にインタビューするウェブマガジン「NOMAD PROJECT」を実施。帰国後は、企業コンサル、イベント事業を経て、日本を世界につなぐビジョンのもとnumber9を立ち上げ、世界中の情報を発信するモバイルメディア「TABI LABO」を創業。2017年より、あらゆる旅先を博物館化するオーディオガイドアプリ「ON THE TRIP」をスタートし、現在に至る。著書『自分の仕事をつくる旅』(ディスカバリー21)『旅の報酬 旅が人生の質を高める33の確かな理由』(いろは出版)を上梓。オフィスであるバンをアート作品として、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018に出展。
on the trip | https://on-the-trip.com/