小豆島で100年後の未来を考える

副業と地域活性 取材記事 Vol.2

この1年で、働き方は大きく変わりました。在宅勤務が推奨され、オンラインツールの普及により、場所を選ばずに仕事ができるようになりました。また少しずつですが、副業の広がりも見えてきました。「副業と地域活性」(1月29日掲載)の記事では、副業とリモートワークについて次のような仮説を立てています。会社が副業とリモートワークを認めれば、大都市に勤めている会社員の地方移住が可能になります。そして、彼らの高い意欲とスキルが地方に流れていき、移住先で地域と関わることで、地域の活性化に一役買うことになるのではないか。
ここで言う「地域活性」とは、ラボでは次のように定義します。地域にこれまでと異なる視点が入ることで、地域資源を見つめ直し、産業や暮らしに変化が生まれ、地域やそこに暮らす人々が豊かになること、と。
このような仮説のもと、地方に移住した人々に、副業や地方での暮らしの実態を取材しています。

今回は、2年前に小豆島(香川県)に移住した柿迫航さんにお話を伺いました。

移住のきっかけ

小豆島は、瀬戸内海では淡路島に次いで2番目に大きい島です。この島に柿迫さんが移住したのは、2019年5月のこと。築150年の古民家を昔の姿そのままに、奥さんと2人で暮らしています。
柿迫さんが初めて移住を経験したのは、今から約4年前。当時は東京で空間デザインの仕事をしており、長時間労働で休みも取りづらい環境だった時のことです。
「自分の中で今の暮らしを続けるのは、体や精神、家族のあり方、時間の使い方にも良くないと感じていて。この時に、自分の中でパラダイムシフトが起きて、暮らしをメインにした時間の使い方を意識するようになりました。生まれも育ちも東京品川なんですが、東京でずっと暮らしていこうとは思っていなかったので、転職すると同時に、まずは豊洲から鎌倉に移住したんです」。

引っ越した鎌倉は、自然が近くていい環境です。しかし週末には多くの観光客が訪れ、体や精神が休まることはなく、柿迫さんが追い求めていた「自然と共に、自分たちの暮らしを大切にできるような暮らし」は、鎌倉の移住では実現することができませんでした。結果として、この鎌倉移住は「どこか、もっと遠くに」という気持ちを強くさせるプチ移住経験となったそうです。

「どこか、もっと遠くに」と移住先を探して、尾道(広島県)、糸島(福岡県)、美作(岡山県)などを訪れるも、「ここだ!」という地域には、なかなか出会うことはできませんでした。そんな時に偶然にもFacebook で、現地NPO法人が主催する小豆島移住体験ツアーを見つけます。
「5〜6年前に初めて小豆島を訪れてから、2回ほど旅行をしましたが、いつも旅行に来たというより、帰ってきたという感覚でした。いい場所だなとは思いつつも、暮らすイメージとは直結していなかったのですが、移住ツアーに参加してみて、小豆島に住むという選択肢があるんだ!と気づいたんです」。

移住と副業

現在は、渋谷のデザインカンパニーに籍を置き、リモートワークをしながらUIデザイナーとして活躍する柿迫さん。
柿迫さんが移住を検討し始めた当時は、会社でリモートワークは推奨されておらず、柿迫さんはマネージャーとして9人のメンバーを抱えていました。そんな中小豆島に移住することは、柿迫さんにとっても会社にとっても、大きなチャレンジでした。従って柿迫さんからの移住の発案には、当時の上司は驚いたそうですが、「前からそんなこと言っていたよね。オンラインで仕事をするのも面白いかもしれないね」と、認めてくれたそうです。こうして柿迫さんは会社の承認をもらい、社内で移住者第1号となりました。

小豆島に移住後は、リモートワークで週5日働き、2〜3ヶ月に1度出社する生活へと変わりました。中でも、柿迫さんの暮らしで大きく変わったのは「働き方」ではなく、「暮らしのあり方」だったそうです。
「移住する時は、自然に即した暮らしがしたいと、ぼやっと思っていました。ところが実際に、近くに畑があって、海山川に囲まれた環境で暮らしていると、仕事が中心でその中に生活があるのではなく、自然に沿った時間軸の中で、暮らしを中心に生活が営まれていることに気づきました」。
そして、その変化の一番の要因が「習慣の変化」だそうです。

「環境では人は変わらない。環境を変えると習慣が変わる、習慣が変わると人が変わります。家が変わると習慣が大きく変わるように、僕は畑や自然と共に過ごす暮らしの中で、毎日畑に行くことや、古民家での生活、気温の変化や鳥のさえずりを直接感じるなど、日々の生活習慣が大きく変わりました。それが元になって、暮らしのあり方も変わったのです」。

東京で暮らしていた時は、感じること自体の感覚がなくなっていたように思うと、柿迫さんは言います。
「例えば、新緑の季節でも緑を見ていなかったし、五感に触れるような感覚は、強制的にオフにしていたと思います。オフにしていることに気づいているんだけど、気づかないような毎日を過ごしていました。自然の近くに住むと、自分の中に余白ができて、そういう感覚を少しずつ取り戻していきます。春が来ると心と体が喜んでいることがわかる。そんな感覚です」

一方、仕事の仕方にも変化があったそうです。
「東京で暮らしていた時は、副業をする時間はなかったですが、移住してからは通勤がなくなり、リモートワークで効率的に仕事ができるようになったことで、副業としてのデザインの仕事も受けられるようになりました。副業の割合は2割ほどですが、本業プラスαぐらいの時間で、両立できるようになりました」と、笑顔の柿迫さん。

そして今年1月に、次のステップへ進む準備として会社を休職。半分独立という形で、個人でデザインの仕事をはじめました。
「島内外の地域の仕事が多く、農家のブランディングやWebサイトの立ち上げなどで、東京で経験してきたデザインの仕事と、求められていることは同じです。それを地域でやっているだけのこと」と、柿迫さんは言います。
「東京で考える企画と、小豆島での企画の考え方には変化はありません。それはどんなビジネスをしていても同じだと思う。島では、右肩上がりの成長戦略を描くというよりは、自然の近くで仕事をしている人が多いので、その仕事をどう次世代に繋げていくかを考える上で、ビジネスの手法を取り入れるというプロジェクトが多いですね。右肩上がりで成長を続けていくのは、企業としては正しいことですが、地域、特に自然と一緒にやっていく場では、成長より維持していくこと、守っていくこと、かつ循環型で持続可能かどうかが大切になります。そこが、大きく違いますね」。

現在柿迫さんのクライアントは、野菜や柑橘などを育てる農家さんや漁師さんなどがあるそうです。もちろん東京の大企業やベンチャーのプロジェクトとは、費用感は異なるそうですが、「地域内で多額の費用を自分だけが稼いでも仕方ない。使うところもないし。その農家さんが続けられなくなったら、意味がないと思っています。デザインに多額のお金をかけるくらいなら、設備費に投資した方がずっと良いですよ。お互いできる形を探っていくことが大事なんです」と、どこかスッキリしたように話してくれました。

未来に繋いでいくということ

小豆島の人口は約2万8千人(2017年現在、土庄町・小豆島町の2町の合計)ですが、小豆島町では毎年100世帯前後の移住者を受け入れている一方、自然減と転出により毎年300人弱ほどの人口が減っています。

100年〜150年先をイメージしながら、未来のことを考えると柿迫さんは言います。
小豆島町が策定した「第2期小豆島町の人口ビジョンと総合戦略」によると、小豆島町の人口は、2060年に約8800人になると推定されています。
「このまま何の施策もしなかったら、2100年頃には人口が1000人ぐらいになってしまうのではないだろうか。若い人が地方に移住して、自然と接する暮らしをすることで、生活のバランスが良くなり、地方の出生率が都市部を越える時が、2050~2100年の間に来ればいい、という理想像があります。この考え方は、地方における一つの理想的なストーリーとして語られています。地域に住んでいる我々は、そうなるストーリーを想像しながら地域をつくっていくのですが、反対に都市集中型が、より加速するパターンも考えておくことも大事です。都市に人が集中し地方が機能しなくなった時、その先にあるのは、本当に豊かさと言えるのだろうか。移住した我々が、こういう暮らし方の選択肢があるということを、発信していかないといけない。そうでないと地方が描く理想像は実現しないと思います」。

柿迫さんには、未来に繋いでいくために、デザインの仕事以外でやりたいことがあると言います。

それは、準備を進めている「ima-本と書斎」です。

「ここは地域に暮らす人が、自分のための時間に集中する場所と時間を提供するお店です。本が真ん中にあって、学んでいったり、イベントや講演会などで、今起きていくことを知ったり、アートからインスプレーションを得たり。気づきから考え方が変わるようなきっかけになる場所を作りたいと考えています」。
これらは全て、未来に繋ぐという発想からきているそうです。

最後に、柿迫さんは地域で活動することについてこのように話してくれました。
「地域でのデザインの仕事はお金のためではなく、未来に対してデザインでどこまで貢献できるかの挑戦です。だからこそ何でもやる訳ではなく、自分が応援したい方、お互いに力を出し合うことでより良い未来を描ける方と、やることだと考えています」。
そしてこうも続けます。
「地域活性という概念が広すぎて、自分がそこに貢献できているかどうかはわからないけれど、仕事を通して関わった方には、いい効果が生まれていると信じたいです。時の流れの中で、あるべきところに物事はある。問題なのは思考を止めてしまうことです。この地域の為に何かをするのではなく、対象を自然という大きなものとしながら、それに対して常に考えている中で見えてくる課題に対して行動するという意識が、大事だと思うんです」と、締めくくってくれました。

取材を通して

柿迫さんの場合は、地方での副業や地域活性を目的に、移住したわけではありませんでした。移住をきっかけに、専門であるデザインを通して地域の課題を解決することで、地域を力づけ、未来へ繋いでいるということがわかりました。

今回の取材を経て、私たちが立てた仮説が間違っていないことも確認できました。大都市に勤める会社員が地方に移住し、新たな視点で地域と関わることは、地域活性化の一役を担っていると、柿迫さんの姿を見て感じました。また、思わぬ発見もありました。副業は次のキャリアにスムーズに移行していくための通過点、もしくは手段になり得るのだと。

引き続き、地方に移住した人々に、副業や地方での暮らしについて取材していきたいと思います。

柿迫 航(かきさこわたる)
1987年生まれ、東京都品川区出身。 青山学院大学経営学部卒業後、Web制作会社のデザイナーとしてキャリアをスタート。その後、アートディレクターとしてベンチャー企業を数社経て、株式会社グッドパッチに入社。2019年に香川県小豆島に移住し、リモートワークで様々なプロジェクトに従事。個人の活動として地域のデザインプロジェクトにも挑戦中。