人口890人の村で『やりたい』を実現
副業と地方移住(後編)
副業と地域活性 取材記事 Vol.1
前回に引き続き、地方でやりたかったことを実現する「WILL実現型」の杉山泰彦さん、有希さんご夫妻に伺った内容を、紹介していきます。
杉山さんご夫妻は、2019年12月に東京から長野県根羽村に移住しました。根羽村は、長野県南西部最南端に位置し、人口890人、高齢化率54%の村です。
杉山さんは、株式会社WHEREから根羽村役場に国の制度(総務省 地域おこし企業人)を使って出向し、村全体のプロモーション戦略を担当しています。また、副業として別の会社にも籍を置き、常時5~6件のプロジェクトを動かしているそうです。
前回は、根羽村への移住のきっかけと、根羽村での暮らし、村民とのかかわりについて、紹介しました。杉山さんは、村の人の『やりたい』ことを聞き、その『やりたい』に関わる人々の『やりたい』が何かを客観的に整理し、プロジェクトを作り、実現までの戦略を作っただけだと言います。杉山さんご夫妻にとって、根羽村での暮らしそのものが、自然と根羽村の良さを引き出すことにつながり、村民の成功体験が村民の成長、村の活性に結びついているように感じました。
今回は、地方での暮らしと副業について、紹介します。
移住は手段であって、目的ではない
杉山さんご夫妻の移住の目的は、『生きる』ことを実感しながら、日々過ごすこと。地域の活性化や、地域の資源を使って何か商品を作ることが目的ではないと言います。
「僕らが移住の選択をできる理由は、お金のことを整理して考えられているからです。具体的には年間必要な生活費。将来の貯金額から逆算して、村の活動で稼げる金額、足りない分はどこで稼ぐかを現実的に考えています。移住相談の時も、現実的な生活費の話をするようにしています」。
移住相談を仕事にしている有希さんは、お金の話の他に、移住の本質がどこにあるのかも必ず聞くようにしているそうです。
「『自然豊かなところで伸び伸び暮らしたい』、『都会の閉塞感がない、豊かなところでリモートワークしたい』とよく言われますが、『移住をしたら幸せになることはない。移住は手段であって目的ではないですよ』」といつも話します。
「世の中の移住事例が、地域の資源を使って何かを作るか、カフェを開くなどの成功事例か、自給自足的に生きているヒッピーのような生活をしている事例の二極化しすぎています。目的は、それだけでありません。『普通に地域で生きること』というのもあります。移住とは、その人が求めているライフスタイルの質感が手に入る可能性の高いところへの、環境の変化でしかなく、それを手に入れるのは自分です。移住の前にどう生きるかを、日々考えることが大切ですね」と杉山さんは言います。
家族で移住を選択したことについて有希さんは、全く抵抗感はなかったと言います。株式会社CRAZYの時に、根羽村にある一棟貸しの宿古民家「まつや」の改修に関わったことや、地元の方と顔見知りだった他に、暮らしを大事にしたいと、ずっと思っていたこともあり、「この場所なら『生きる』こと、食べ物を大切にした暮らしができる」と思ったからだと言います。夫婦で週に1回、2-3時間は、自分たちの生き方について話すので、今後についても何も迷いはないそうです。
「移住当時、妊婦だったこともあり、向かいの80才のおばあちゃんが、とても親切にしてくださって。去年は農作業を教えてもらったんですが、私たちは挫折して、結局おばあちゃんが畑の手入れをしてくれました。子どもが産まれたとき、名前が決まったときには村内放送が流れて、とても嬉しかったです」と村での暮らしを振り返ります。
2020年は村暮らしを深めた1年となりました。
「村の人々が優しいのは、夫婦で移住してきているという覚悟を感じてくれているからではないでしょうか。根羽村には、いたいだけいるつもりです」とお二人の笑顔が溢れます。
地方での暮らしと副業
杉山さんにとって、『生きる』と『働く』の境目は何かを伺うと、
「『生きる』という活動の中で、経済活動も生まれて暮らせたら、それが理想です。お金をもらわなくても、自分がやりたいことが生きること。お金を求めて何かをしようとする行為は、『生きる』ではなく、『働く』。これをやれば、意味もあるし効果もあるけど、楽しくないものは、なるべくやりたくない。報酬を貰わなくても楽しい、ワクワクすることの割合を増やしていきたいです。副業こそなおさら、『働く』ための副業は絶対にやりたくない。『生きる』という範囲の中で納められたら、本当に幸せです」。
最寄りの駅まで車で1時間、一番近いコンビニも車で30分という根羽村の暮らしは、私たちが想像する以上に不便なこともあります。ここでの暮らしを通して、杉山さんの考える移住先の選び方があると言います。
「根羽村は、とても厳しい環境です。本当に何もないから、自分が動かないといけない。それが楽しいと思える人なら、根羽村はいいところです。制限のある中で自分の中から生まれるクリエイティビティを感じられる方は、過疎地域への移住は向いているでしょう。コンビニやアクセスも望むなら、地方都市で自然も感じながらおいしいものを食べられるところの方が、いいですよ。過疎地には、全ての選択肢がなく、全ての人を幸せにできる土壌はないんです」。
また、仕事の選び方や企業の副業のメリットについても、杉山さんなりの考え方があります。
過疎地で副業をする時は、2つの違う目的の事をすると、それぞれに割く時間とコストがかかり大変です。仕事をする目的を1つに集約することを、アドバイスしてくれました。
「僕は、副業でのプロジェクトが5〜6件ありますが、1つの目的で統一されています。コロナ禍で、会議はすべてオンラインになり、東京には1度しか行っていません。都会の人たちが、地方の人を巻き込みやすくなったので、副業も増えました。日本にはまだ対面が必要な業務もありますが、いい変化が来ていると思います。企業に勤めながら地方で副業をすることは、生きるための出稼ぎとしてのサラリーマン活動と、そのお金で豊かに暮らすワークライフバランスという生き方ですね」と教えてくれました。
地域や副業で得たスキルが、企業でのメリット・スキルにつながるかを伺うと、
「地域側の人がそこでの経験や得られるスキルを企業側に説明できる能力が必要だし、企業側もそれを理解する土壌が必要です。僕の場合、WHEREでの仕事は、根羽村だけにコミットしていて、会社の成長にはコミットしていません。それに合わせて給与体系の話も代表としています。週3日は本業、週4日は副業という働き方もありますが、日数ではなく、結果にコミットした給与体系にするべきだと思っています。
感情を入れず、ビジネス的に両者にメリットのあるスキームを組んだ方が、お互い幸せです。日本人はあまり交渉をしませんよね。もっと交渉すべきです。0-100ではなく、60・70の交渉をすればいいのに」とご自身の経験を振り返り、今回のテーマについて最後に話してくれました。
今回お話を伺った杉山さんのWILLは『生きる』ことで、それが本業である株式会社 WHEREでの仕事と一致しているという、貴重なパターンかもしれません。しかし、自分の生き方や暮らしを変えたいと思ったら、『生きる』本人が主体的に自分の暮らし方を見つめ直し、意思を持って行動することで、環境は変わっていくのだという強いメッセージを感じました。その結果が、村民の成長を通して、地域の活性にもつながっているのだと思います。
今回のインタビューを通して得た気づきは2つです。
1つ目は、杉山さんは「自分のような働き方をする人を企業が抱えることに、メリットがあるか、今はわからない」とインタビューの中では話してくださいましたが、クリエイティビティ豊かな人が会社にいると、周囲への刺激となり、企業としても有益だと期待できそうなこと。企業側が一緒に働ける雇用のあり方を考えれば、この問題は解決できそうです。
そして、2つ目はこういった働き方や移住の動きは、特殊なものではなくなっているのかもしれないということ。根羽村のような小さな地域にも、杉山さんのような移住者が現れていることから、その動きが進んでいることを感じます。
働き方の変化や住む場所の変化を、企業側も受け入れをせざるを得ない時が、もうそこまで来ているのかもしれません。
杉山泰彦(すぎやまやすひこ)
株式会社WHERE/一般社団法人ねばのもり/株式会社 文殊の知恵
1991年生まれ。小中時代、アメリカで過ごす。慶應義塾大学卒業後、スタートアップベンチャーに入社し社長直下チームのもと採用・マーケティングを主に担当。2017年より新規事業として地方創生事業の創業メンバーで参画。2年間で20地域に企画営業から納品まで行なった後、2018年12月に移住。地域おこし企業人として、村全体のPRブランドづくり、地域資源を活用した事業づくりを担当している。
杉山有希(すぎやまゆき)
根羽村移住コーディネーター
1990年生まれ。新卒で東京都庁へ入庁。人からの評価や組織に合わせた人生ではなく、自分の意志で生きる人を増やしたいと思い、当時30人規模の株式会社CRAZYへ転職。CRAZY WEDDINGにて、結婚式当日までのプロジェクト管理等を200組以上担当。2017年には自身の結婚式をCRAZY WEDDINGで挙げる。2019年4月より根羽村移住コーディネーターとして、移住者の増加を目的に、女性(ママ)視点で住みやすい環境づくりを目指し活動中。2019年夏に第一子を出産。