社会の変化をどう読み解くのか

―暮らし研究家が読み解く社会の変化
土谷貞雄さん

株式会社貞雄 代表の土谷さん。

建築家、コラムニスト、アンケート制作や分析を行う研究者、シンポジウムや研究会の主催者として、さまざまな活動を行っている土谷貞雄さん(株式会社貞雄代表)。中でも、徹底した取材と現地のフィールドワークを繰り返す「暮らし研究家」としての活動は、近年アジアを舞台に大きな広がりを見せています。各国を飛びまわり、暮らし調査を続ける中、社会や人々の潜在的な意識の変化をつぶさに観察してきた土谷さんは、その膨大な知見をもとに未来の仮説を立て続けては、人々と共有し、さらなる問いかけを繰り返しています。激動する社会の変化をどう読み解くのか。土谷さんにお話を伺いました。

成長社会から、成熟社会へ

今、私たちの暮らす社会は、成長社会から成熟社会へと確実に向かっています。日本の人口は2009年をピークに減少に転じ、2050年には2010年の66%に相当する8000万人まで落ち込むと言われています。さらにそのうち、65歳以上の人口が40%に達すると予測されています。また最も注目すべきは、一世帯あたりの人数が約1.1人になることです。

「1人暮らしの人が大半を占める社会を悲観するのではなく、縮小する社会を前提として、その中でどう生きていくかを考えることが大切」と土谷さんは話します。これは新しい働き方やビジネスモデルを考える前に、まずはその根底にある社会や人々の意識の変化に目を向け、思いを巡らすことが必要ということです。

ここで少しだけ過去にも目を向けて見ましょう。ここ10年を振り返ると、社会ではさまざまな変化がありました。最も大きな変化といえば、「常時接続社会」になったことでしょう。スマートフォンの登場やインターネットの急速な普及によって、私たちは今、常に誰かとつながりながら生きています。フェイスブックやインスタグラムなどSNSの普及も相まって、人々は情報を共有したり、交換したりすることに、大きな価値を見出すようになりました。

価値が生まれると、そこには経済が生まれます。しかし、現代社会がこれまでの社会と大きく違うのは、お金だけに価値が置かれていないことです。例えば、「Airbnb」。ご存知のとおり、余った部屋や家をシェアするためのプラットフォームです。部屋を貸したい人と借りたい人は、このプラットフォーム上でマッチングし、個人対個人の取引を行いますが、貸したい人の目的は、単にお金を儲けることではありません。そこには、自分が所有するものを他者と共有して利用するという「シェアリング」の考えが根ざしています。手入れをしたり、工夫を加えたりすることによって、部屋の価値を上げながら他の人とシェアするという行為は、単に商品を生産して消費する行為とは異質のものです。

さまざまな変化から見えてくること

2013年にオープンしたシェアハウス「LT城西」。シェアハウスの代表として、今も根強い人気がある。専有部と共用部のゆるやかな境目が暮らしやすさをつくっている。
出典:LT城西公式HP

住まいのあり方も、ここ10年ほどで劇的に変わりました。自分の居室を持ちながら、他人と共用空間を共有する「シェアハウス」は、その最たる例です。2005年には、「ひつじ不動産」というシェアハウス専門のポータルサイトがいち早く登場しました。その後、2000年代後半から2013年にかけて、首都圏を中心にシェアハウスが次々とオープンし、その存在感を増していきました。

なかでも、横浜市西区の4世帯向け2階建てシェアハウス西田さんの「ヨコハマアパートメント」や名古屋市の新築シェアハウス成瀬・猪熊さんの「LT城西」は、若手建築家が設計したことでも大きな注目を集めました。ひつじ不動産の運営会社の調査によると、2007年には5000戸にも満たなかったシェアハウスの数が、2013年には2万戸を超えたことが分かっています。

日本にシェアハウスという言葉さえなかった頃から、わずか8年ほどの間にこれだけの変化が起きたことの裏には、人々の意識の変化が見て取れます。今もなお、増え続けているシェアハウス。ひとり暮らしの人すべてが住むわけではないけれど、働き方や生き方が多様化する現代社会では、住まいの選択肢のひとつとして、確かに根づいています。

働き方も、コワーキングスペースやシェアオフィスの誕生によって大きく変わりました。例えば、2014年に千葉県柏市で開設した「KOIL柏の葉 オープンイノベーションラボ」(成瀬・猪熊さん設計)。日本最大級のコワーキングスペースを備えた3000㎡の巨大なイノベーションセンターです。設立当初は、閑散とした状態がしばらく続きました。しかし、従来の均質なオフィスにはない独特の開放感と遊び心にあふれた空間は、着実に人気を集め、オープンからわずか3年ほどで、常に満席の状態に。今や、日本を代表するオープンイノベーションの場として広く知られるようになりました。

これらの事例をみてもわかるように、誰も予想もしなかったことが、凄まじいスピードで浸透し、人々に受容されていくということが起きているのです。

すべてはつながっている

「ここ10年だけを見ても、私たちの社会ではさまざまな変化が起きた。しかし、それは偶然に起きたのではない。その芽は、1960年代のアメリカを中心に起きていた大きな動きの中にあったと考えている。アメリカの50−60年ほどの間に起きたさまざまな現象の文脈を見ていくことによって、今、日本で起きている社会の変化が、つながっているということが読み取れると思う」と土谷さんは話します。

私たちの社会に起きている変化と、60年間アメリカで起きてきた変化。両者の間には、一体どんなつながりがあるのでしょうか。土谷さんは、ひとつずつ紐解くように話してくれました。

1960年代のアメリカでは、大規模な都市開発が行われ、郊外住宅地に建設された大量生産型の住宅に暮らす人であふれていました。その中心を占めたのは、大戦帰還兵を住まわせるための住宅です。連邦政府が、住宅建設資金の低利融資制度を設けたことで、都心の中高所得者の郊外移転も増幅しました。

時を同じくして、アメリカでは、大量生産、大量消費社会に対する抵抗を訴えたヒッピー運動をはじめ、環境保護運動や消費者運動など、さまざまな社会運動が沸き起こっていました。

「当時の人々は、既存の社会の価値観に対するアンチテーゼを唱えようとした。それは、市民である自分たちが、自らの意思で暮らしを豊かにするためにできることがあるのではないかという、国家に対するアンチテーゼだった。実はこの頃の動きが、その後の日本社会の動きにも大きな影響を及ぼしてきた」と土谷さん。

当時の動きを代表するのが、whole earth catalogを創刊したロバート・スチュアート、そこにはアップルを創業したスティーブ・ジョブズや建築家のバックミンスター・フラーなども参加していました。若き日のジョブズは、既存の社会のあり方や価値観に疑問を持ち、それからの離脱を目指す対抗文化「カウンターカルチャー」という社会運動を担ったヒッピーたちの思想に傾倒していました。その当時、軍事用、また国家のインフラとしてつくられたIBMのデータ通信システムに対し、「市民が使えるコンピューターをつくろう」として創業したのがアップルだったのです。

持続可能な社会をめざして

この時代の都市計画における最大の理解は、都市計画は、計画通りにはうまくいかないという「計画の限界性です」。いきいきとした街、わくわくする街、さらに環境になじんだ都市というものを計画してもそのように作れないということでした。――そんな時、実験として小さなコミュニティをどうつくるかという課題に取り組む建築家たちも現れてきました。1960年代後半から1970年代以降のアメリカでは、「エコビレッジ」や「コウハウジング」など、持続可能な社会を目指したコミュニティ作りの取り組みが次々と行われてきました。

エコビレッジとは、お互いに環境づくりを支え合いながら、自然環境への負担が少ない暮らしをする環境共生型コミュニティ。地球環境やコミュニティのためだけでなく、より自分らしく生きることを目指す人たちが集まりました。近年、日本でも盛んなエコビレッジのルーツも、実はここにあります。

コウハウジングは、「シェアハウスの原点」といえる暮らし方です。住む人たちが集まって、一緒に住まいやコミュニティ空間をつくります。それぞれが独立した住まいを持ちながら、キッチンやリビングなど、共同で使う空間も備わっています。

そのルーツは、1970年代に北欧で生まれた「コレクティブハウジング」(相互扶助住宅)という暮らし方にあります。独立した個人の住まいとみんなが一緒に使える共用スペースがあります。特徴的なのは、単身世帯の若者や高齢者などがともに暮らし、お互いにサポートし合っていること。「コモンミール」といって、毎日、居住者がみんなで集まり、食事を一緒に食べることも特徴です。

ヨーロッパのように、他人と一緒に暮らすことが、文化として定着していなかった日本にとって、コウハウジングやコレクティブハウジングの暮らし方を受け入れるまでには多くの時間を要しました。しかし、1997年には、「特定非営利活動法人コウハウジング・パートナーズ」が、2000年には、「特定非営利活動法人コレクティブハウジング社」が設立され、ようやく日本でもじわじわと広がっていきました。

時間をずらしながら、日本は変化してきた

1960年代以降もアメリカ各地では、様々な疑問を持ちながらも大々的な都市計画が進められてきました。ロングビーチやサンタモニカなどに代表されるような働く場所、商業、遊び、住まいを近接させた都市も多くできました。しかしそこには特定のクラスだけが住むことになり、都市の多様性は生まれませんでした。そんな時に先に市民の主体性を取り戻すような都市再生が始まります。その先駆けは、世界中から注目を集めている、オレゴン州ポートランド。“全米住みたいまちNo.1”に何度も選ばれています。公園をつぶして高速道路をつくるという計画に対して起きた反対運動を契機に政権が交代、成長をさせない、拡大をさせない都市計画として一躍有名になります。しかし1970年代に始まった取り組みが多くの成果として実を結ぶまでには、約20年の年月を要しました。

近代都市計画の原点である「田園都市構想」が、社会改良家のエベネザー・ハワードによって提唱されたのは、1900年のこと。「ポートランドが結実するまでの約100年間は、都市計画に対する理想と現実、失敗とトライアルの連続だった」と土谷さん。2010年以降、日本でも都市再生が盛んに行われていますが、これもまたアメリカの動きを受けています。

このようにアメリカの50年ほどの軌跡を辿っていくと、「日本がいかにアメリカの動きと少し時間をずらしながら、さまざまな影響を受けてきたということが分かるのではないかと思う。この10年に日本で起きてきたことは、“アメリカで起きていたことの進化版”だと言える」と土谷さんは話します。

ヒントは、いつも平均値から外れたところに

近年は、暮らし研究所を設立した中国・深センを拠点に、アジア各国と日本を行き来しながら、暮らしに関わるさまざまなプロジェクトに従事している。

「答えを出すというよりも、考え続けることが私の仕事」と土谷さんは言います。暮らし研究家として、人々の暮らしに関するさまざまなアンケート調査を行っていますが、大切なことは、「平均値を見るのではなく、少数派に潜んでいる小さな変化の兆しをどのように見つけ出していくか」だと話します。

例えば、「自宅に何足の靴がありますか?」という質問に対して、家族全員で10足しかないと答える人もいれば、1人で200足持っていると答える人もいます。「その人たちがどんな価値観を持ち、どんなライフスタイルなのかを考えていく。平均から外れたことがなぜ起きているのか。その人の属性は、どんなところにあるのか。そうしたことを追求していく中に、新しい暮らし方や生き方、社会の未来像を見つけるためのヒントが隠れている」と土谷さん。

2050年ごろには、人工知能の進化によって自動運転が実現し、美しく整備された社会が現れると言われています。デジタルとアナログがぴったり重なり、人間が行うほとんどのことをコンピューターが代行できるようになることを恐れる声もあります。そして多くの人が機械には心がないといいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。心はどこにあるのでしょうか。我々はやはり今ある常識という前提条件を疑って、その変化を前向きに捉える必要があります。未来では人間には今とは違う重要な役割が現れると考えてみることも大事です。

とはいえ、それは今ただちに起きることではありません。これからの30年、社会はまだらに変化していくのです。そのためにも調査や社会の変化を観察し、未来への仮説を考えることはもちろん重要ですが、同時にその結果だけでなく変化のプロセスという時間軸も考慮することも忘れてはなりません。「この30年をどう楽しむかというところに、醍醐味がある」と土谷さんは言います。これからも社会が変化を続けるかぎり、鋭い洞察力でそれらを見つめ、「こうかもしれないという仮説」をもとに読み解き、私たちに問いかけてくれることでしょう。遠くを見つめながらも、今歩いている目の前の道にも目を向ける必要がありそうです。一見矛盾とも見える現象は時間という時の流れがそれらをつないでいくでしょう。

仮説を人々と共有することによって、社会を読み解いていくという知の探求。みなさんはどのように思いますか。ご意見お寄せください。

土谷貞雄(つちや さだお)
株式会社貞雄代表/建築家/暮らし研究家/コラムニスト
1960年東京生まれ。日本大学大学院理工学研究科建築史専攻修士課程修了。1989年イタリア政府給費留学生としてローマ大学へ留学。帰国後、ゼネコンにて施工、設計、営業などの業務を経験したのち、M&Aコンサルタント、住宅不動産系の営業支援業務を行う。2004年良品計画のグループ会社ムジネットに入社。2008年コンサルタントとして独立。商品開発からプロモーションまでを見据えた一貫した住宅商品開発支援を行い、販売にまで繋げるためのwebコミュニケーションを使ったものづくりや共感の仕組みづくりを多くの企業に導入している。また、暮らしに関するアンケートや訪問調査をさまざまな企業のウェブサイトで実施。現代の暮らしに関する知恵を集め、未来の暮らしのありかたを提案し続けている。

2010年より、住まいに関する研究会「HOUSE VISION」(代表・原研哉氏)の企画運営を行う。2011年に東京と北京で開催したシンポジウムを皮切りに、2013年に『HOUSE VISION 2013 東京展』、2016年に『HOUSE VISION2/2016 東京展』、2018年に『HOUSE VISION 2018 BEIJING EXHIBITION』を開催。現在、暮らし研究所を設立した中国・深センを拠点に、アジア各国と日本を行き来しながら、暮らしに関わるさまざまなプロジェクトに従事している。
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