21時のお茶の時間
皆さんのご家庭に、お茶の時間はありますか?
コロナをきっかけにテレワークが進み、仕事に家事と生活のメリハリがつけにくくなったという話をよく聞きます。ほっと一息つく時間をあえて設ける。忙しいからこそ、お気に入りのお茶の葉を選んで、お湯を沸かして、自分でお茶を入れてみる。お茶の時間を作ることは、生活のリズムを整えるのはもちろん、頭や体を休めて、心をリフレッシュしてくれます。
お茶を注ぎ足す
長野県では、農作業などの共同で行う仕事の合間に、日本茶とお茶請けを準備して、お茶の時間をみんなで楽しむ風習が今でもあります。お茶請けを出すのを忘れることを、「からっ茶」を出すと言って、恥ずかしいものとする文化もあり、お茶請けには、季節のお漬物や煮物、煮豆、果物などが準備されます。このお茶請けのセンスも、お茶の時間の話題を豊かなものにしてくれます。
お茶はなくなるとすぐに、互いに注ぎ足し、注ぎ足し、のんびりと何杯もお茶を楽しみます。この飲んだらすぐに注ぎ足すというのも、長野県のお茶の時間の特徴です。
教師時代を長野県で過ごした作家島崎藤村は、自身の小説『破壊』のなかでこの風習について、こう書いています。
『信州人ほど茶を嗜む手合いも鮮少(すくな)かろう。こういう飲物を好むのは寒い山国に住む人々の性来の特色で、日に四・五回ずつ集まって飲むことを楽しみにする家族が多いのである』
この文章から、仕事の合間だけでなく、家族や近しい人たちの間でもお茶の時間を大切にしていた風習が見えてきます。お茶の時間には、日常のたわいもない話や、近所の人たちがお嫁さんにお茶請けの作り方を教えるなど、さまざまな話題が飛び交ったそうです。
高い山と深い谷に遮られ、日照時間が限られた地域だからこそ、豊かに時間を過ごそうとする一面と、情報交換の場や学びの場である一面があったのでしょう。そんな時に、お茶を注ぎ足し、注ぎ足しするのは、少しでも長くお茶の時間を楽しみたいと思う、長野の人の思いが習慣化されていったものと思います。
お茶というコミュニケーション
「お茶にしない?」…私たちは日常生活の中で、「お茶」という言葉をよく使います。「ちょっと休憩しませんか」という意味になったり、「ゆっくりおしゃべりしたい」という意味になったり。時にはお近づきになりたい人へのアプローチにも使ったり、その時のシチュエーションと相手との関係性でこの言葉の意味は変わってきます。けれど、共通しているのは、ただお茶を飲みながら話して、ゆっくりと時間を過ごすということ。誰かとお茶を飲むということは、人と人をつなぐコミュニケーションとも言えそうです。
長野県のあるエリアでは、21時にお茶を飲む風習があります。元々は工場地帯だったこともあり、工場の交代時間の関係で、家族で食事の時間をうまく作れないためにできたという話もありますが、家族が今日1日を振り返ってゆっくり眠れるようにと、今でもこのエリアでは夜遅くまで開いている喫茶店があったり、家でお茶を飲んだりという風習が残っています。
お茶をするのに、決まった時間はありません。1日に1回、自分や家族のためにお茶をいれて、一息つく時間を設ける。あなたも、このお茶の習慣を取り入れてみませんか。
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