高木を家族として受け入れ育てることが条件の賃貸集合住宅「TREES」
欲しかった暮らしラボでは、緑と暮らしの研究を続けています。
今までに、専門家への取材、欲しかった暮らしラボでのアンケート、座談会を行い、緑と暮らす特徴的な間取りも考えました。
そして今は、緑にこだわった完成物件の担当者や建築家にお話を伺っています。
2回目の取材は、東京都大田区、東急電鉄東急多摩川線 鵜の木駅より徒歩 9分、多摩川の河川敷にほど近い総戸数11戸の賃貸集合住宅「TREES」です。
「TREES」の特徴は、全ての住戸のバルコニーに木が植えられていて、住人はその木を育てることが入居の条件となっています。木を育てるといコンセプトデザインは、どこから生まれたのか、入居者には受け入れられているのか、コミュニティ形成にはどのように影響しているのかなどをお伺いしたく、建築家の伊藤潤一さんに取材をお受けいただきました。
バルコニーを暮らしの中に
この物件は、全ての住戸のバルコニーに木が植えられています。バルコニーに木を植えるという発想が、どうして生まれたのか、伊藤さんに伺いました。着想は、伊藤さんがフィンランドで家族と過ごした1週間ほどの滞在の中にあったそうです。
「フィンランドに滞在した時に借りたアパートは、バルコニーの外側にガラスを付け、冬の時期は暖房を設置して、バルコニーを家族のために第二のリビングとして半室内化されていました。ソファやクッションを置いて、お茶を飲んだり、くつろいだりと、生活に溶け込んでいました。まだ小さかった子どもは、室内のリビングではなく、バルコニーのリビングを気に入って、ずっとそこで遊んでいましたね」。
北海道出身の伊藤さんは、冬の時期は室内に籠りがちでバルコニーに出るということがほとんどなかったそうで、フィンランドでの温かく室内のようなバルコニーが、とても印象的だったそうです。
日本では、バルコニーを物干場としてしか使われないことに疑問を感じていた伊藤さんは、帰国後、フィンランドの室内化されたバルコニーのように、新しいバルコニーの使い方が出来ないか模索します。
また同時に、暮らしの中で緑を楽しむ機会が減っていることにも懸念を感じていました。
「日本の集合住宅の植栽は、接道している部分を緑化しなければならないという法律がありますが、『法律だから仕方なく植栽を植えました』、という消極的な緑化に疑問がありました。緑を楽しむ生活を空間に取り入れられないかと、常々考えていました。住宅が高層化することで、生活の中で自然と暮らすことが遠のいているようにも感じていて。特に上層階の人は、緑や木を積極的に生活に取り込むことが難しくなっていますよね」。
ペットなどの生き物を飼うと、育てるために『厄介なこと』が多くありますが、ペットの成長や、それをきっかけにした人との繋がりなどで、人は癒され、喜びや生きがいを感じます。バルコニーに木を植えて育てることも、それに通ずるものがあると伊藤さんは言います。
「『厄介なもの』『非効率的なもの』が、我々の暮らしには欠けてきていると思います。TREESでは、木をペットのように愛でて育てることで『厄介なもの』になり、そこに人が集い、住まうことで、植物という厄介なものを通して住人同士の関係や地域住民との新たな関係性を生み出す集いの住まいを造りたかったんです」と、伊藤さんがオーナーさんに提案した思いを話してくれました。
バルコニーの木とともに暮らす
「TREES」は、最初からバルコニーに木が植えられており、「木をインテリアではなく新しい家族として受け入れ、育てられる人」が、入居の条件でした。
バルコニーに植えられた木は、アラカシ、ホルトノ、ヤマボウシ、フェイジョア、モチノキなど、様々な樹種の高木が植えられています。
木は、手すり部分までのコンクリートの中に根が入っており、地元の樹木屋とともに、木の大きさ、根の深さなどを考えて設計されています。基本的には雨水で育ちますが、雨が少ない時期は住人が水やりをします。その木は、上の階に枝葉を伸ばし、枝葉の選定は上の階の住人が行います。また同時に植えられた木の葉や花を愛でることができますが、上の階からは枯葉が落ちてくることもあります。このような、木を通しての迷惑のかけあいを、お互い様として許容しながら上下階で1本の木を大切に育てることで、都市生活の中で失いかけている心の豊かさや喜びを共有でき、住人同士の繋がりも育まれていきます。
「木を健康な状態で、健やかに成長させるために年に数回、樹木屋さんに健康診断を依頼しています。その際、各住戸に入る必要がありますが、事前に説明して契約を交わしているので、住人からはクレームもありません」と、入居開始から3年が経ち、入居者の入れ替わりもある中で、住民から理解が得られていることの大切さを、伊藤さんは話します。
タイムレスな住まいを造る
建物の外観にも特徴があります。伊藤さんは、建物の表面を少し古く見えるように作ると言います。
例えば、外壁は土木工事などに使う矢板※の型枠を使って、コンクリートの打放しの仕上げになっています。矢板には、木の節や木目があったり、工事で使用した汚れやシミや反りがあったりもします。矢板を型枠にすることで、ボコボコになっている木目や節、シミまでもがコンクリートに移されますが、そのまま使われています。
「ピカピカの建物が、時間の経過で汚れていくのと違い、最初から節やシミを許容することで、数年たっても時間経過を感じさせない『タイムレス』な建物になります。それは、新築の価値が最も高いという風潮に逆行して、時代を超えても価値が落ちない、流行に乗らないものを造りたいという思いからなんですよ」。
オーナーにとっての価値・住人にとっての価値
この物件は、2LDKのファミリー向けです。ところが、周辺はワンルームマンションが多く、当初は計画を指摘する人もいました。
「計画当初は借りる人がいるのかと、周辺の不動産会社や銀行からも指摘がありました。しかし、物件の斜め前には小学校があります。必ずファミリーのニーズもあるはずです。オーナーにとっては、この物件を長期で保有することになるので、本当にオーナーにとって価値があるものを造りたいと思っていました。仲介も、この物件の価値がわかる不動産会社にお願いして完成したのがこの『TREES』です」。
『バルコニーに植えられた木を育てる』という条件があっても、興味を持ってくれる人は多く、周辺より賃料が少し高くてもアッという間に入居者が決まったそうです。
「住人は、雑誌の編集者・デザイナーなどクリエイティブな仕事をしている人や外国人が多く、斜め前の小学校に子どもが通うファミリーも3家族います。物件のコンセプトに賛同して入居された方々は、建築などに興味があり、住まい方もとても綺麗です。退去されることになっても、とても綺麗な状態で退去されるので、物件としての価値も保てています」と、伊藤さんは言います。
「小学校の登校時に交通整理をしている方が、建物がなく開けた土地にマンションが建つことを元々はよく思っていなかったそうなんです。ところが、建物が完成し、木が植えられていることで、街に緑が増えたと喜んでくださいました。子どもたちも、木の成長や花が咲くことに興味を持って、通学途中に話題にしてくれているみたいです」と、近隣の方にも受け入れられていることを、教えてくれました。
取材を終えて
このように一貫したコンセプトデザインがある物件は、好きな人とそうでない人に分かれがちですが、木を育てるという『厄介なこと』を共同で行うことに興味を持ち、入居希望者が後を絶たないということは、求めている人がいてニーズがあるということです。
また、「コンセプトに共感してくれる特定の顧客を集める方が、不特定多数の人に向けて発信するより確実にニーズのある人が集まる」と伊藤さんが言われていたことは、私たちにとっては、大きなメッセージでもありました。
そして、元々ニーズがあると考えるのではなく、コンセプトのある住まいを造り続けていくことで、マーケットを作って、ニーズを育てていく必要があるのだと思いました。
他にも、建物における『タイムレス』という考え方には、とても共感しました。不動産の価値は、新築が最も高いということに抗った建物を造ることは、分譲マンションを造っている私たちにとっても、今後の課題です。
バルコニーの木の日々の移り変わりや成長の喜びはもちろん、木の成長に家族の成長を重ねる人もいるでしょう。今後、このマンションが木と共にどのように成長するか楽しみです。
プロフィール
伊藤 潤一(いとう じゅんいち)
建築家/伊藤潤一建築都市設計事務所 主宰
北海道生まれ。東京藝術大学大学院修了。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(工学)。
2002年伊藤潤一建築都市設計事務所を設立し、住宅から超高層デザインまで多岐に渡る。また、子どもや医療福祉建築を多数手がける。JCDデザインアワード金賞。子ども環境学会賞、千葉県建築文化賞、グッドデザイン賞など受賞多数。