岡山県最南端の離島でたった一人、
誰かのために作るビール

【表町商店街コロナインタビュー vol.3】六島浜醸造所 井関竜平さん

表町商店街のcafé&bar naradewaで提供している「六島麦のはじまり」、「北木島オイスタースタウト」、「六島ドラム缶会議」という3種類のビール。このビールは、笠岡港から約1時間の六島(むしま)にある「六島浜醸造所」(むしまはまじょうぞうじょ)で作られています。今回は、人口60人の島で、たった一人でビールづくりをしている井関さんにお話をうかがいました。

食品会社の営業マンから醸造家への挑戦

大阪生まれ大阪育ち、現在36歳の井関さん。食べることが好きで、大学卒業後は、新卒で食品卸の会社に就職。営業マンとして大阪を駆け回っていたそうです。しかし、そんな井関さんの心には、幼いころから通っていた、祖母の住む六島の存在がいつもあったといいます。「六島は、風景も美しくて、魚もおいしくて、僕にとっては宝の山でした。だから、機会があったら移住したいと思っていました」。
成果主義で、日々数字と睨みあい、競合他社とは売り場の奪い合い、10年後に自分が何をしているのかが見えず、もっと人間的な営みをしたいと退職を決意。そして心にずっとあった六島への移住に備えて、島のお年寄りのためになるスキルを、と介護の専門学校へ進学します。その後、介護福祉士の資格を取得。2017年4月に地域おこし協力隊として六島へと移住しました。

一面の麦畑を、また見たい

岡山県最南端に位置し、人口60人、漁師の島「六島」。笠岡港から定期船で1時間のところにあります。
井関さんは移住直後、何をするか考えあぐねていた際に、「この島で暮らしてきた人の存在こそが六島だ」と思い、島の可能性はお年寄りが握っていると確信します。そして、お年寄りたちと会話をするなかで、六島が昔は島一面、麦の島だったことを知ります。山のてっぺんから裾野にかけて、収穫の時期には黄金の麦がなびいていたと。その話は井関さんの心を掴みます。
「島一面に麦がゆれる風景が頭の中に鮮明に広がって、どうにかしてその姿を再現したいと思いました」。そして、島で収穫した麦をつかったビールをつくることを決心します。移住からわずか2か月後、2017年の6月のことでした。

食品卸の会社にいたといっても、ビールに関しては全くの素人だった井関さん。同じ岡山県にある吉備土手下麦酒(きびどてしたばくしゅ)の永原社長のところに弟子入りをします。この醸造所には、井関さんのようにビールづくりを学びたいという志をもった人が全国から集まっていました。井関さんも、兄弟子のところに修行に出かけて、ビールづくりをゼロから学びました。

またビールづくりと並行して、麦の耕作を開始します。ビールづくりの修業は大変でしたが、それ以上に麦をつくる工程は、想像をはるかに絶する辛さだったそうです。麦のイガイガが体に刺さって体は痒くなるし、いつ終わるか分からない作業の連続。そして、やっとの思いで麦が収穫できてからも試練は続きます。精麦や、麦をビールにするまでの工程には、毎回リスクがあり、本当にビールが出来上がるのか、不安で仕方なかったそうです。
構想から約一年半年、ようやく完成したのが「六島麦のはじまり」でした。生まれて初めてつくったビールは、吉備土手下麦酒の醸造所で永原社長と一緒に作ったそうです。これまでの苦労を思い出し、ビールを口に含んだ瞬間に感情が爆発して、涙がでるほどおいしくて、人目をはばからず泣いたといいます。このときの味が、井関さんにとって始まりの味であり、これからも守り通していく味となりました。

全てのビールにはシーンがある

井関さんが初めてつくったビール「六島麦のはじまり」は、セゾンというビアスタイルで作られています。セゾンとは、フランス語で「季節」です。ビールの原点であるヨーロッパでは、昔、農業就労者に賃金の代わりとして、セゾンスタイルのビールがふるまわれていました。衛生状況が悪い環境での水分補給と栄養補給に、ビールが一役買っていたのです。麦づくりの経験で、自分自身も農業の厳しさを経験した井関さんは、仕事をした後に、海を見ながら飲む一杯を思い描いて、このスタイルで最初のビールを作りました。
「ドラム缶会議」という名前のビールは、六島の日常を描いたビールです。島では夕方5時を過ぎると、波止場にあるドラム缶に火が入り、お年寄りたちがどこからともなく集まってきます。ドラム缶のそばには冷蔵庫があり、そこにはキンキンに冷えたビールが。いつもいるメンバー、漁師、時には観光客も、その独特の社交場に引き付けられていくそうです。この社交場を、いつの日からか「ドラム缶会議」と呼ぶようになり、島の日常の風景となりました。
「学生の時、ドラム缶会議につかまって、初めてここでビールを飲みました。その時にもらった、のどごし生の味を忘れられないんです。本当に楽しかったし、おいしかった。島も高齢化が進み、この風景を永遠には残すことはできません。だから、ビールで残すことにしました。このビールに燻製香がするのは、ドラム缶会議の帰り道、自分がスモークサーモンような匂いがするからなんです」と井関さんは笑顔で話します。六島でビールをつくるという突拍子もない計画を支えて、応援してくれた、この島の人への思いがつまった大切な一杯です。

新型コロナウイルスの影響を受けて

販売開始以来、島の人に支えられ、売り上げは安定していました。春先からは屋外で行うイベントへの出店、夏には島民の親せきが帰省してビールを買ってくれたり、地元の飲食店からも声がかかり、笠岡市や岡山市へとゆっくりと販路を広げてきました。しかし、今回の新型コロナウイルスで、状況は一変します。イベントは軒並み中止になり、飲食店の営業も縮小となりました。
「六島には定期船の他にも、長期旅行の観光船なども寄港します。2月上旬から、島に立ち寄る船主たちにコロナの話を聞くと、雲行きが怪しいことを感じました。その時から、自分がビールを作っている様子をFaceBookやInstagram、HPで配信を始めました。オンラインでの通信販売を強化したのも、この時期です」。
3月はなかなか思うように売れず、仕込みを一時休止するほどだったといいますが、早い段階から対策を始めたことや、日ごろから付き合いのある人たちからの注文で、現在は一部商品が欠品するほどの人気に。
「街で暮らしていたら人が多すぎて、世の中の小さな風向きの変化に気づけなかったと思います。島にいたから、早く対策が打てましたね。今は、通信販売で購入してくださった方全員に、手書きの手紙を同封しています。この状況が明けたら、島に来てくれることを楽しみに待って書いています」。

本当においしいビールを目指して

井関さんに今後の目標を聞くと、少し意外な答えが返ってきました。
「ビール界の国際コンクール、ワールド・ビア・カップにチャレンジするつもりです。世界で3ブランドしか受賞できない狭き門ですが、どうしても賞を獲りたい。昔は、賞やコンペに、まったく興味がありませんでした。でもビールを作ってみて、離島という付加価値がどうしても自分のビールをおいしいと思わせてしまっている気がしています。離島という言葉や風景のバイアスなしに、審査員の評価として、美味しいと言ってもらえるようになりたい。そして何よりメダルを獲ったら、応援してくれているおじいちゃんたちが喜んでくれるじゃないですか」。
井関さんの目標は高く、そしてどこまでも自分のビールを支えてくれる人の方向を向いています。
「最近、県内の生産者さんが一緒にビールをつくらないか、と声をかけてくれるようになりました。この前は、笠岡市で栽培した蕎麦と「今井美味い紅じゅうたん」というビールをつくりました。荒れ地に、華やかな蕎麦の紅の花を咲かせたいとつくった蕎麦です。その話だけで泣けますよね。今度は矢掛町で、カカオからつくっているチョコレート屋さんとビールをつくる話もいただいています。こうやって、本気で物をつくっている人と関われる尊い商売をさせてもらっていると思います。これからもこういった連携は進めていきたいです」。

営業マン時代、誰のために働いているかを考えるも、その答えがでなかったという井関さん。六島に移住して、ビールづくりを通して、誰かが喜んでくれるために、自分ができることに出会うことができました。井関さんのビールは、島の人の喜びであり、井関さんの喜びです。

誰かの喜びは、自分の喜びに。そして自分の喜びは、誰かの喜びにと、それは表裏一体の関係にあるのかもしれません。そんな大切なことを教えてくれた取材でした。

※文中の受注状況は、5月23日現在の情報です。現在の注文状況はHPよりご確認ください。

井関竜平(いせき りゅうへい)
2016年、大阪から岡山県最南端の離島「六島」に移住。島のお年寄りから、昔は麦畑が山のてっぺんまであったと聞き、麦畑を作ってみようと決心。同時に自分でビールを作れないかを模索。2017年 岡山県の吉備土手下麦酒に弟子入り。同門である小豆島まめまめビールにて現場の勉強をさせてもらい、同年秋に、六島で収穫した麦で、初めての麦酒を吉備土手下麦酒にて仕込む。そして笠岡、そして島で初めてのビアフェス「六島オクトーバーフェスト」を主宰。2018年、吉備土手下麦酒にて修行を重ね、同年六島オクトーバーフェストの2回目を開催。2019年3月29日、発泡酒醸造免許交付。現在まで、牡蠣、金柑、蕎麦、イチジク、桑の実、ヒジキといった様々なジャンルを根拠に基づいて副原料に使用している。

六島浜醸造所HP|https://mushimahamajo.amebaownd.com/